心を開く事・閉じる事
出会いのきっかけには心の存在が大いに関係してきますよね。引っ込み思案であることも心の存在は大半占めています。周りとボーダーラインをピシっと引くことで自分を確認しているのですね。自分に対して存在意義が薄い程他人を拒絶します。だからと言って無口だとは限りません。なぜなら、なるべく自分は傷つきたくないと思っているものですから表向きだけはきちんとしています。どうしてもその時心は開いておらずせめてもの道理で他人からの自分をつくているのです。これは表向きだけが引っ込み思案でないだけということは本人も気付いているでしょうね。ボーダーラインを引けるレベルの持ち主ですから。そうして他人を見下して、人との出会いをゴミだと思っています。けれど人は本能的に人とぶつかりたい・衝撃を起こしたいという願望を持っています。これは男性、女性関係ありません。次第に、ラインを引いて自立しているかのように思っている中で心と体のバランスがとれなくなりフラストレーションを起こしやすい環境ができあがります。心を開くとは他人と混ざり合う事ではないということにもしかしたら気付いていないのかもしれません。心の開け閉めを自在に出来るようになり、人と関わり合う事が快感になることを一度知るまでにはちょっとした練習が必要になりますね。
想像
ボーダーラインを引く事が自立であるという認識があるとしても、本能はいずれにじみ出てくるもの。ちょっとしたことがきっかけであなたには性欲が出てくるでしょうし女性に対して性を感じる事もあるでしょう。人間のサガですね。しかし中にはこれを本能としては認めず、性に対してひどく醜い汚れた心が自分にあることを知りこの羞恥心を、自分を傷つける行動に出ることでその事実を打ち消したり、自分を戒めたりします。そんな人でも知恵を絞って生きていく事でそれが当たり前である事を自然と理解するようになります。それを乗り越えるともうその世界は当たり前ですから次の欲求がでてきますね。一つ越えればまた障害は出てくるもの。生身の人間を知りたいと思うようになります。想像の中の女性は母をオリジナルとして、苦しみを取り払ってくれ楽しいことを教えてくれる聖母マリアのようなイメージができあがります。初めての女性として母を知ることはそういうことに繋がります。そして男性は、血のつながらない母以外の女性を探すために狩りに出るようになります。すべては仕組まれているんでしょうかね。